私流の見当識障害(人)の対処法 実践編
10時半ごろ、ママから電話が掛かってくる。
「もしもし」
パパの声。
パパ「かあさんがいないんだよ。どこ行ったのかな」
私「そこにいるはずよ」
パパ「いや、いない。どうしたんだろう。」
私「そこにだれか一緒にいるでしょ。女の人が後ろにいるでしょ。」
パパ「いや、女の人はいない。男の人だ。」
私、思わず爆笑。ママは後ろで、「なんで男なのよ!」と怒っている。
こんな会話にも、最近はすっかり慣れてきた。
今日はちょっと違う作戦でパパに話しかけてみようと思う。
お酒が脳の記憶のスイッチをオフにしてしまい、今混乱していると伝えてみることにする。
私「もしかして、ちょっと混乱してない?なんだかわからなくなってるんじゃない?」
パパ「ん~。そうかな。そうかもしれないな。なんか変なんだ。」
私「よく聞いてね。今お酒を飲んでいるでしょ。お酒はね、時として頭の記憶のスイッチをオフにしてしまうの。」
パパ「あっ、飲んでるな。そうか。」
私「たった今は混乱しているけど、それはお酒が入っているからなの。」
パパ「本当か。そうか。」
私「だから、今日はお酒はやめて、ゆっくり寝てください。明日の朝にはすべて元に戻っているから。不安になる必要は全然ないからね。」
パパ「わかった。お酒はもうやめる。それでいいんだな。」
私「そうです。大丈夫。明日にはすべてもとに戻っているから、お水を一杯飲んで休んでください。」
パパ「わかった。そうするから、明日また頼むな。」
今日の会話で一番気を付けたことは、心の底から大丈夫だと伝えること。
心を込めて相手の魂に話しかけること。
いろいろと調べていると、人に対しての見当識障害が出てくるとちょっと大変みたい。
多くの記事や本には、対応する側の大変さや対処法が書かれているけれど、私はまず見当識障害が出始めた本人の心の中を想像してあげることが大事だと思います。
すごく感情的になってしまうのは、起きている間中、何かが壊れていく不安の中で生きているからでしょう。
周りにいる人たちは、不安を取り除くことに意識を持っていけば、おのずとその場で最善の選択ができるようになるのではないかと思います。
パパは不安の中で生きている。
私ができることは、すこしでも不安を取り除くこと、笑顔でそばにいること。
パパの心にいつも太陽がありますように。