パパは、いつも私のパパ
今日は曾祖父の命日。
パパが無事に過ごせていることに感謝する。
去年の8月のある日の晩、ママと三人でディナーに出かけた。
いつも行くカウンター席のレストラン。
外の景色が見えるし、食の好みが違う2人も好きなものが結構あるので
良くいく。いろいろと頼んで、最後にママが味噌汁を頼んでいて、
私も一杯頂きたくてお願いした。
ところが全然出てこない。
結構待っても出てこないし、もうデザートモードになってきているし。。
最後に温かいお味噌汁登場したものの、私はちょっと焦った。
どう考えても、一から作ってくれたものとわかったから。
お味噌汁は、お鍋にできていて、お椀に入れるだけだろうと思っていたのに。。
忙しいディナーの時間帯に、最後に私がお味噌汁くださいといったがために、一から作ってくれたのです。
帰るときに、シェフとサーバーの人に
「こんな忙しいときに、一から作らせてしまって申し訳ありませんでした。お陰様で大変おいしくいただきました。ありがとうございます。」
とお詫びとお礼を言って、お店を出た。
パパがそれを見ていたみたいで、
「よく言ったな。安心した。」
そう私に声をかけてくれた。
私がレストランのオペレーションを見ていたこと、余計な手間を掛けさせたこと。それに対してお詫びとお礼を言えることができるようになったな、安心した、ということ。
パパはちゃんと私のことを見てくれている。
認知症は、できなくなることやわからなくなることがとても多くなって
周りも本人も本当に葛藤が多い。
それでも、認知症の人は、一人の人として、脳に疾患を抱えているだけで、その人となりは変わらない。
パズルで言うと、一つ一つピースが落ちてしまうようなことでしょう。
語彙を忘れていしまうけど、頭の中にある映像は伝えたい。
でも上手く伝えられないのが認知症。
ある程度こちらが相手の頭の中の映像やストーリーを想像して
話すことが大切。
施設に行くときは、その施設の人たちには、生い立ちや性格、
いつも家族に話しているエピソード、家族の写真を共有することが
私は両社にとって有益なのではないかと思う。
すこしでも自分の愛する家族のことを知ってもらい、大切にしてもらいたいのだから。
みんなで楽しく良い時間を過ごすことが一番。