大変!パパが認知症になっちゃった!

認知症とはなんぞや?パパと一緒に日々新しい発見。

人生って素晴らしい!②

私は必死だった。

 

パパが暗闇に行ってしまう!

捕まえなきゃ!

 

私だけでも、ちょっとでもパパに会いたい。

一日10分で良いから、パパに会わせてもらいたい、

チャンスをください、と頼もうと思って、とにかく施設にアポなしで

行ってみることにした。

 

パパ、きっと不安だろうな。。

そんなことを考えながら、とにかく夢中で向かっていた。

 

入り口について、扉を開けてもらうと、

なんとそこにパパがいた!!!

偶然に!

 

「あっ、パパ!」

 

私は無我夢中で話しかけて、ソファーで座って話そうと

誘って手を引いていた。

 

パパはびっくりしたような顔をして、にこにこしていた。

突然だから誰かわからなかったかもしれないけど、

とにかくパパにとって身近な人とわかってくれたみたいで、

もうとにかくうれしかった。

 

ひとしきり和やかな時間を過ごしてから、施設長さんに、私が毎日会いに来て

少しはパパの気持ちが安定するか見てほしいとお願いした。

 

パパとの時間を見ていたので、もちろんOKをもらえた。

 

ドアを開けた瞬間パパがいたのは、ただの奇跡だった。

神様、パパと逢わせてくれてありがとう。

 

 

 

人生って素晴らしい!➀

パパが一時的にいた介護施設から強制退去をちらつかされたり、

 

病院へ送り込まれそうになったり、

 

施設の中で、ただただあいさつで声をかけているだけでも、

いきなり知らない人に声を掛けられたとほかの利用者の人たちは思うので、

パパは避けられるようになった。

まるでやっかいものみたいに思われていた。

 

コロナで施設内まで入れないからつぶさには見ていないけれど、

そんなのパパの目を見ればわかる。

もう光がない。

 

認知症なのだから、自分がなぜそこにいることすらわからない。

その不安と混乱の中で、だれに話しかけても嫌な顔をされて

理解してもらえない孤独。

そんな絶望の24時間を過ごしていたら、生きる希望なんてなくなってしまう。

 

パパは私たちに背中を向けて、

一歩ずつ暗闇に向かって歩き始めていた。

 

ママが会いに行くと、帰った後でパパは不穏になって探し回って

手が付けられないとのことで、面会もさせてもらえなかった。

 

絶対にパパを闇にはいかせない!

 

(続く)

 

 

パパは、いつも私のパパ

今日は曾祖父の命日。

パパが無事に過ごせていることに感謝する。

 

去年の8月のある日の晩、ママと三人でディナーに出かけた。

いつも行くカウンター席のレストラン。

 

外の景色が見えるし、食の好みが違う2人も好きなものが結構あるので

良くいく。いろいろと頼んで、最後にママが味噌汁を頼んでいて、

私も一杯頂きたくてお願いした。

 

ところが全然出てこない。

結構待っても出てこないし、もうデザートモードになってきているし。。

 

最後に温かいお味噌汁登場したものの、私はちょっと焦った。

どう考えても、一から作ってくれたものとわかったから。

お味噌汁は、お鍋にできていて、お椀に入れるだけだろうと思っていたのに。。

 

忙しいディナーの時間帯に、最後に私がお味噌汁くださいといったがために、一から作ってくれたのです。

 

帰るときに、シェフとサーバーの人に

「こんな忙しいときに、一から作らせてしまって申し訳ありませんでした。お陰様で大変おいしくいただきました。ありがとうございます。」

 

とお詫びとお礼を言って、お店を出た。

 

パパがそれを見ていたみたいで、

 

「よく言ったな。安心した。」

 

そう私に声をかけてくれた。

 

私がレストランのオペレーションを見ていたこと、余計な手間を掛けさせたこと。それに対してお詫びとお礼を言えることができるようになったな、安心した、ということ。

 

パパはちゃんと私のことを見てくれている。

 

認知症は、できなくなることやわからなくなることがとても多くなって

周りも本人も本当に葛藤が多い。

 

それでも、認知症の人は、一人の人として、脳に疾患を抱えているだけで、その人となりは変わらない。

 

パズルで言うと、一つ一つピースが落ちてしまうようなことでしょう。

語彙を忘れていしまうけど、頭の中にある映像は伝えたい。

でも上手く伝えられないのが認知症

 

ある程度こちらが相手の頭の中の映像やストーリーを想像して

話すことが大切。

 

施設に行くときは、その施設の人たちには、生い立ちや性格、

いつも家族に話しているエピソード、家族の写真を共有することが

私は両社にとって有益なのではないかと思う。

 

すこしでも自分の愛する家族のことを知ってもらい、大切にしてもらいたいのだから。

 

みんなで楽しく良い時間を過ごすことが一番。

 

 

父の母。私の祖母。

祖母が転倒骨折し、緊急手術をしてから半年以上。

 

無我夢中で彼女の回復を祈り、毎日病院へ通っていた日々が、

嘘のように遠い日に感じられる。

 

手術の次の日に心停止して、一度も意識は回復しなかった。

人工呼吸器を付けて、今もベッドの上にいる。

コロナのせいで、顔を見に行くことすらできない。

 

それでも祖母がこの世にいてくれることは、

私たちにとって、特に今のパパにとっては大事なこと。

 

色々なことを忘れても、祖母のことを気に掛ける。

自分のお母さんだから、どうしているのかとよく聞かれる。

 

意識がなくても、話ができなくても、

この世にいてくれることが、どれほどパパの安心感になるのだろうか。

ありがたいこと。

 

もう話を聞くこともできなくなっちゃったし、

もっといろんなことを聞きたかったなと思うけど、

私なりに祖母に興味を持って、いろんなことを聞いてみた。

ほんの束の間だったけど、そんな時間が持ててよかった。

 

パパにも祖母の話をしてあげることもできるし。

祖母は、パパが今の生活に慣れるまでは、きっとこの世に

いてくれると思う。

そんな気がする。

 

 

それから一か月

ママの状態が悪く、

パパが別宅(と呼んでいる)で暮らし始めて1か月が経ちました。

 

その間に一度3人で、公園を散歩する機会がありました。

 

なんとパパ、前より改善しているのよね。

 

これは本当にびっくりしたのだけど。

私の見立ては、たぶん家にいたときは、

いつママが出かけてしまうか、置いて行かれるのではないかという

不安感をパパは抱えていた。

 

どんなに好きな相手でも、24時間見張られるような状態では

さすがのママもストレス。

 

お互いにこすれることもあるわけで、家にいるからと言って

良いわけでばない。

 

よく老々介護殺人とかのニュースが流れてくると、

ママと「さもありなん」と話していた。

お互いに殺意を抱く状況が生まれるであろうことが

理解できる。

 

介護は、きれいごとではない。

本で書いてあることは、絵に描いた餅のことも多い。

 

私たちはラッキーなことに、人のサポートを受けられる。

もしこの状況になったのなら、

できるだけ国や行政、なんでも人の力を借りる事。

彼らはプロなのだから。

 

パパのまわりにはいつも誰かいる。

不満は、ママがいないことだけ。

 

規則正しい生活は、認知症の人には必須。

次の瞬間に何があって、自分がどこにいるのかが

あいまいになるのだから、

次に何が起こるかわかるということは、

彼らにとっては自分自身の確認にもなる。

 

ママがいないのはさみしいと思うけど、

パパのマインドがクリアになっていてうれしい。

 

パパ、見えるところには私たちはいないけど、

いつもいつもパパのことを考えているからね。

大丈夫よ!

決断の時 ②

まだ7月の梅雨が明けない曇り空。

 

「ママが倒れたら、パパは共倒れになるのよ」

 

ママの限界は数か月前に超えていた。

でも自分では、パパを背負う!という使命感を持っているから

全然自覚できないみたい。

 

「もうすこし人のヘルプを入れましょうよ」

 

ママは施設には絶対に入れたくない。

それは私も理解できるし、「入れてしまう」という罪悪感たるや

押しつぶされてしまいそうになる。

 

ラッキーなことに、ケアマネージャの方が便の良い施設を紹介してくれた。

そこの施設長さんが、わがままなパパのことを理解してくれて、

いつでもいらしてくださいと言ってくれ、

ママと私はほっとした。

 

私はママにある提案をした。

 

「パパを”施設に入れる”のではなく、”施設を使う”ことにしましょうよ。

昼間は一緒に今まで通り暮らして、夜寝るのはそちらに行く。

でね、施設、とかホーム、ではなくて、”別邸”と考えましょうよ。」

 

「そうね。。

別邸。

月のうち半分を家で過ごせたらいいかしら。

それなら、いわね。」

 

ママが決断した。

 

今の時代は、施設に入れる、ということではなく、

施設を使う、という感覚で付き合っていけばいいという形にシフトしている。

 

一昔前の、姥捨て山の感覚は、もう古いのです。

 

私はママとパパが一番バランスよく、幸せな時間がたくさん過ごせる環境を

作る手伝いをしている。

 

ずっと家にいることが幸せでなくなってきているから。

 

一番感謝すべきことは、私たちには施設を使うという選択肢があること。

 

パパの不安が少しでも取れて、たくさんママと幸せな時間を過ごしてくれることを

心から願って。

 

決断 ①

もうママの限界が来ている。

 

パパは、24時間ママから離れなくなってしまった。

パパは、不安なのだと思う。

ママがどこかに行ってしまうのではないか。

 

ママがトイレに行って、ほんのちょっと目の前から見えなくなっただけでも、

 

「かあさんはどこだ?」

 

と言って探す。

 

ママはヘルペスになってしまい、痛みがひどい。

今年に入ってからもうずっとなので、

そろそろ体力も限界にきている。

 

でも、ママはどうしてもパパにうちにいてほしいと思っている。

 

毎日なんとかこなしている。

 

ママが倒れたら、パパも共倒れになってしまう。

 

決断をしなくてはいけないときがやってくる。